2010年10月31日日曜日

classical music_listening music_refreshing_songs_sleep learning_audio equipment_karaoke

(21)
このように、クラシック音楽(classical music)を楽しむと言うことは、くつろいで聴いていても、意識にとってはかなり忙しい作業です。けれども、音楽にを聴く時に主に働く脳の部分は(ここでは一応右脳としておきます)、普通に言葉を使って仕事や勉強をするときに主に働く部分(ここでは一応左脳としておきます)とは異なると言われています。そして音楽を聴いて(listening music)右脳を使うような意識を働かせている間は、仕事や勉強で疲れた左脳を休ませる効果があると言われています。したがって言葉のないクラック音楽を聴くことは、脳のふだんは酷使されている左脳をリフレッシュ(refreshing)させるとともに、ふだんはあまり使われない右脳を発達させる効果があるのだそうです。
(注:脳は多くの部分に分かれていて部分によって主な機能が異なることは確かですが、右脳と左脳について一般的に興味本位で言われている説には確認できていないものが多いようです。)

歌(songs)を聴いたり歌ったりしても脳のリフレッシュになると思われますが、やはり歌の場合はどうしても主に歌詞という言葉に対して意識が働きますので、ふだん使っている脳の部分を十分に休ませることにはならないかもしれません。

これは私個人の経験に過ぎませんが、疲れているのだけれども神経が高ぶって寝られないというときに、音楽を聴くと間違いなく安眠できます。この場合も歌よりもクラシック音楽の方が効果があります。歌の場合は歌詞という言葉を聴きとって理解しますので、疲れている脳の部分をさらに働かせて興奮させてしまうことがあるのでしょう。

歌でもそうかもしれませんが、クラシック音楽は寝ているときでもある程度は脳には聞こえているようです。眠ってしまって聴いていなかった場合でも音楽が終わるとそれに気付いて目覚めることがよくあります。もちろん、そのままじっとしていれば直ぐにまた寝てしまうのですが。また、私の場合はさらに、自分では聴いたことがないはずだと思う曲なのに、聴き覚えがあると感じることが時々あります。おそらく眠っている間に掛かっていた音楽が、知らないうちに脳に記録されているのではないかと思っていますが、確かではありません。もしもそうだとすれば、これは一種の睡眠学習(sleep learning)のようなものですね。

2010年10月30日土曜日

classical music_melody_rhythm_composer_karaoke_sound system

(20)
クラシック音楽(classical music)の積極的な聴き方をする時に意識するポイントは、(14)に音楽の面白さを見つけるヒントとして書きました。このヒントをもう一度読んで頂ければ簡単に眼の付け所、すなわち意識の働かせ方が分かるはずです。

このヒントに書いてあることは知ってさえいれば直ぐに実行できるものばかりです。しかも一度に全部を実行しなくても良いのです。観光バスのガイドさんに「右手をご覧下さい」と言われたら右を向けばよいのと同じことです。「メロディー(melody)の繰り返しにがありますから見つけてください」、「もう1つ別のメロディーが出てくるかも知れません」、「リズム(rhythm)が変わることがありますからご注意下さい」という具合に一回聴くたびに1つずつ見つけていけばよいのです。

こうして聴いていると、たいていの曲は5回目ぐらいで重要なポイント(important points)は大体全部見つかります。これは気付くだけでよいので忘れてしまっても大丈夫です。次に聴いた時には、そのポイントに来れば必ず思い出しますから。あまり早く覚えない方が良いくらいです。そのポイントに来た時に「そういえばこうなるんだったなあ」と思い出すぐらいの方が飽きないで同じ曲を何回も楽しめるのです。

これで音楽が十分に楽しめるレベルに達したことになります。これで一応十分なのですが、まだその先もあります。それはこうして見つけた多くのポイントがどういう順序で組み立てられているかを把握して、作曲家(composer)が聴く人を楽しませるためにどういう工夫をしているか、その作戦を見破って音楽の構造とその効果を確かめる段階です。これは別にしなくてもただ聴いているだけでも十分楽しめるのですが、特に興味のある1曲だけでもそういう目で見てみると、ものすごく良い頭の体操になります。物事の仕組みを読み取ったり、仕事の進め方を考えたりする上で役に立つヒントが得られることもあります。

2010年10月29日金曜日

enjoy music_classical music_challenge_speaker_headphone_music apparatus

(19)
前回までに、クラシック音楽(classical music)には他の音楽にはない魅力があること、私達はクラシック音楽を楽しむ(enjoy music)ための条件に大いに恵まれていることを述べました。これらは全く間違いのないことだと思えるのですが、その割に実際にクラシック音楽を聴いている人は、音楽の全分野の中ではごく少数派でしかありません。それはどうしてでしょう。

私にとってもこれが長年の疑問でした。その内に先に説明したような聴き方の問題(お一人様状態で聴く、大きい音で聴く)に気付きました。しかし、それだけで全部解消する問題かというと、どうもそれだけでは十分ではなさそうです。「聴こえていればよい、だからただ聴いている」という状態よりも、もう少し積極的な姿勢が必要であるような気がします。

それは、好奇心と観察力、言い換えれば次のようなチャレンジ精神を持って聴くことではないでしょうか。
「名曲と言われているけれども本当に面白いのか」、
「どこがどう面白いのだ」、
「聴く者に何を伝えたいのか」、
「それを自分が確かめてやる」、
「もしも面白くなかったらもう聴かないぞ」
というような、あえて言えば作曲家に挑戦する(challenge)ような姿勢が少しあれば良いのではないでしょうか。

こういう気持ちが少しでもあれば、音楽を聴く時の意識の働かせ方がかなり変わって、面白さの発見につながるような気がしますが、いかがでしょう。もしそうなれば聴き終わった時の満足感もかなり変わって来ると思います。これは受身ではない、積極的な聴き方とでも呼べるでしょう。

こういう姿勢で音楽を聴くようになった人は、先に述べたクラシック音楽を楽しんでいる人の人材としての特徴、すなわち情報を正確に読み取る能力、物事に前向きに計画性を持って取り組む能力を獲得しつつあると言えるかもしれません。それでは、その時にはどういうところに意識を働かせながら聴けばよいのでしょうか。次はそれを考えて見ましょう。

2010年10月28日木曜日

instrumental_classical music_instrument_orchestra_sound equipment_enjoy music

(18)
      前にも述べましたが、音楽はよく世界共通語とも言われます。この場合は、言葉の要らない「器楽(instrumental)すなわち楽器だけで演奏される歌の無い音楽)」が特に重要な役割を果たすと思われます。そしてその代表的なものがクラシック音楽(classcal music)です。

人気の問題は別として、クラシック音楽が音楽芸術の中心と考えられるようになったいきさつを振り返ってみましょう。まず、たまたま過去に偉大な作曲家達が現れたこと、性能の良い楽器(instrument)が開発されてきたこと、それに合わせて優れた演奏家が現れたことが幸いしているでしょう。そうして、世界各国に広まった結果、演奏家同士の競争が世界レベルで激しくなり、ますます演奏技術が向上し、普及しました。

クラシック音楽は、あらゆる芸術の中でも、世界中で極めて激しい競争が共通の基準の下で行なわれていることでは代表的なものでしょう。世界中の演奏家が同じ舞台で競争するコンクールが盛んに行なわれ、元々の本場であるヨーロッパ以外の国からも続々と優勝者が現れています。日本人の中にもこれらのコンクールで優秀な成績を収めた人をはじめとして、世界中で活躍している演奏家(指揮者も含めて)が例を挙げればきりがないほど居られます。また、そういう激しい競争の結果として、日本でも多くの都市に大小の立派な楽団(orchestra)が数多く誕生しています。

それに加えて音楽の最大の強みは、録音技術の進歩にあると思われます。あらゆる芸術の中でも、音楽ほど高性能なコピーが大量にしかも安価に作成できるものは他にはありません。そのコピーを聴くための装置(sound equipment)もそれほど高価なものでなくても十分に楽しめます。

このように私達は良い音楽を楽しむ(enjoy music)ための条件に大いに恵まれていることになります。この条件を生かさないというのは、大変もったいないことだと思いませんか。

2010年10月25日月曜日

classical music_listening music_Bach_Beethoven_Mozart_songs_karaoke_

(17)
しみじみとした感動を与えるメロディー
おだやかな感じではあるけれども深みのあるもの、沈んだ感じであるけれども悲しみや寂しさを訴えるというよりも静かに自分の心を見つめるようなものなどがあります。癒しの音楽ともいえるでしょうが、一般に癒しの音楽として出ているCDなどに多い、ただ刺激がないだけの音楽ではなく、しっかりと感動を与えてくれるものです。
バッハ(Bach):
「ブランデンブルク協奏曲第3番、第1楽章」、「ブランデンブルク協奏曲第5番、第2楽章」、無伴奏フルートソナタ

ハイドン(Hydon):
「弦楽四重奏曲第77番(五度)、第2楽章」、

モーツァルト(Schubert):
「バイオリンソナタ第28番、K.304、第1楽章」
「交響曲第40番、第1楽章、第3楽章」、「ピアノ協奏曲第20番、第2楽章」
「ピアノ協奏曲第23番、第2楽章」、「クラリネット協奏曲、第2楽章」
「クラリネット五重奏曲、第2楽章」

ベートーベン(Beethoven):
「交響曲第3番(英雄)、第2楽章」
「交響曲第6番(田園)、第2楽章」

シューベルト(Schubert):
「交響曲第7番(未完成)、第1楽章、第2楽章」

「弦楽四重奏(死と乙女)、第2楽章(重厚な変奏が続く)」

ブラームス(Brahms):「交響曲第2番、第2楽章」

以上、私の思いつくままに挙げましたが、これらの曲はここで例に出した楽章だけではなく、すべての楽章がすばらしいものばかりです。クラシック音楽には、バロック音楽と言われるものから現代音楽までのもっと幅広い種類の音楽がありますが、とりあえず入門のためにはこのあたりから入るのが適当だと思います。

前にも書きましたように、どういうわけか説明はできませんが、私が聴きたいと思う曲の多くは、聴き終わったときに、なんとなく「よしっ」という感じが体の中から沸いてくるものが多いことは確かです。だからといってその曲が力強い曲とは限りません。寂しく弱々しく終わるような曲でも、悲しい感じの曲でも、なんとなく心の整理が付いたような感じと言えるでしょうか、「よし行くぞ」と言うようなさっぱりした気分になることが多いです。しかしそれは単なる結果であって、最初からそうなることを期待しているかというとそうでもないのです。

2010年10月24日日曜日

classical music_Beethoven_Hydon_Mozart_Schubert_Mendelssohn_Tchaikovsky_listening music_karaoke

(16)
雄大なメロディー
明るく快活なメロディーとは少し違って、雄大な感じのメロディーもあります。この中には堂々とした力強いもの、ゆったりしたおおらかな感じのもの、少し悲しげなものなどがありますが、クラシック音楽(classical music)特有と言えばオーバーですが、他の種類の音楽ではあまり出てこないスケールの大きさを感じることができるものです。雄大なメロディーが特によく出てくるのはベートーベン(Beethoven)の音楽(music)です。
ハイドン(Hydon):
「弦楽四重奏曲第76番(皇帝)、第2楽章(変奏が続く)」、
「弦楽四重奏曲第77番(五度)、第1楽章」

モーツァルト(Mozart):
「交響曲第41番(ジュピター)、K.551、第1楽章」、
「クラリネット五重奏曲、K.581、第1楽章」、

ベートーベン:
「交響曲第3番(英雄)、第1楽章」、「交響曲第5番(運命)第2楽章」、
「チェロソナタ第3番、第1楽章」、
「ピアノ協奏曲第5番(皇帝)、第1楽章」、「バイオリン協奏曲、第1楽章」、
「弦楽四重奏曲第7番、第1楽章」、「ピアノ三重奏曲(大公)、第1楽章」

シューベルト(Schubert):
「交響曲第7番(未完成)、第1楽章」(第8番と呼ばれることがある)、
「交響曲第8番(グレート)、第1楽章」(第9番と呼ばれることがある)、
「ピアノ五重奏曲(鱒)、第1楽章、第4楽章(鱒の主題の後に壮大な変奏が続く)」、

メンデルスゾーン(Mendelssohn):
「交響曲第3番(スコットランド)、第4楽章の終り近く」

ブラームス(Brahms):
「交響曲第1番、第4楽章(序奏の後)」、「交響曲第2番、第1楽章」

チャイコフスキー(Tchaikovsky):
「交響曲第5番、第1楽章」、「ピアノ協奏曲第1番、第1楽章」

ドボルザーク:
「交響曲第9番(新世界より)、第1楽章」、
「弦楽四重奏曲(アメリカ)、第1楽章」

2010年10月23日土曜日

classical music_variable elements_music_headphone_earphone_speaker_lisrehearsal room_tening room_

(15)
先に挙げたクラシック音楽(classical music)の変化する要素(variable elements)のそれぞれについて少し見てみましょう。
メロディー(melody)と動機:どんな種類の音楽(music)でもたいていは、何らかの意味で美しいメロディーを持っています。

これらもヘッドホン(headphone)、イヤホン(earphone)、スピーカー(speaker)を使用してお一人様状態で聴いて下さい。さらに欲を言えば防音室(listening room)かリハーサル室(rehearsal room)があれば最高ですね。
明るく快活なメロディー
例は数え上げれキリがありませんが、まだあまり曲をご存知ではない方のためにいくつか挙げましょう、分かりやすいように、曲の始めに明るいメロディーが出てくるものを主に挙げます。もちろん大抵はその後1つの楽章が終わるまでに表情が多様に変化します。また、実際には曲の最終楽章に明るく快活な音楽が使われることも多いです。
バッハ:
「バイオリン協奏曲イ長調、第1楽章」、
「ブランデンブルク協奏曲第5番、第1楽章」

ハイドン:
「交響曲第101番(時計)」、
「トランペット協奏曲、第1楽章」、「チェロ協奏曲第2番、第1楽章」、
「弦楽四重奏曲第67番(ひばり)、第1楽章」、
弦楽四重奏曲第77番(皇帝)、第1楽章」
なお、ハイドンの曲には、最終楽章が極めて現代的な感じのする快速の曲になっているものがかなりあって、聴くと実にスカッとします。例:「チェロ協奏曲第1番」、「交響曲第100番」、「交響曲104番」、「弦楽四重奏67番(ひばり)」

モーツァルト:
「アイネクライネナハトムジーク、K.525、第1楽章」、
「クラリネット協奏曲、K.622、第1楽章、第3楽章」、
「クラリネット五重奏曲、第4楽章」
「バイオリン協奏曲第5番、K.219、第1楽章、第3楽章」、
「フルートとハープのための協奏曲、K.299、第1楽章、第3楽章」、
「ファゴット協奏曲 K.191、第1楽章」、
「弦楽4重奏曲、K.458(狩)、第1楽章」

ベートーベン:
「交響曲第6番(田園)、第1楽章」、「交響曲第8番、第1楽章」、
「バイオリン協奏曲、第3楽章」、「弦楽四重奏曲第1番、第1楽章」、
「弦楽四重奏曲第3番、第1楽章、第3楽章」、
「ピアノ三重奏曲(大公)、第2楽章、第4楽章」

シューベルト:
「ピアノ五重奏曲(鱒)、第1楽章、第3楽章」

メンデルスゾーン:
「交響曲第4番(イタリア)、第1楽章」

2010年10月22日金曜日

music_classical music_music appreciation_sound equipment_headphone_earphone_speaker_soundproof room


(14)
防音室やsoundproof room ヘッドホンヘッドホンheadphoneなどの音響装置 sound equipmentを使用して、お一人様状態でクラシック音楽を聴いている内に、徐々に音楽の面白さに気付かれると思いますが、そうなる前に、自分にはクラシック音楽が分からないと思って、聴くことをやめてしまう人も結構多いようです。したがって、音楽のいろいろな面白さに気付きやすくなるようなヒントを提供することも、お役に立つ可能性があるのではないかと思います。

多くの音楽に共通する面白さの例をいくつか挙げて説明しましょう。前に、本ブログでは楽曲の説明はしないと書きましたが、音楽の面白さのそれぞれの例としていくつかの曲名だけは挙げることにします。


多くのクラシック音楽では、メロディーと動機、調性、楽器編成と音色、リズムとテンポなどの変化に加えて、これらを総合した緊張感と開放感の移り変わりや1つのメロディーに基づく変奏曲など、様々な変化の面白さを味わうことができる music appreciationと言いました。このような多様さ多彩さは、他の音楽でもいろいろな曲を立て続けに聴けば味わえるかもしれませんが、クラシック音楽には一つの楽章の中でも次々と表情が移り変わって行きながらも一体感のある心地よい緊張感が味わえる曲が多いのです。

ごく短い曲を除けば、こういう変化が見られない曲はまずありません。ほとんどの曲は、時間と共にどんどん進行したり、時には後戻りしてまた形を変えて進行したりする変化の面白さを味わうことによって、大いに楽しむことができるのです。その間に、聴く人は心にいろいろな刺激を与えられて、自分の気分も変化したり、時には感動させられたり、作曲者はどういうことを表そうとしたのかを察したりするのです。

上で挙げた、「動機motive 」というのは、メロディーにはなっていない程度に短い音の集まりです。例えばよくクラシック音楽の例に出されるベートーベン Beethovenの「交響曲第5番(運命)」の出だしの「ジャジャジャジャーン」という4つの音のようなものです。動機は、短すぎてメロディーと言えるほどではありませんが、音楽を構成するための素材として、繰返されたり、いろいろな形に変形されたり、別の動機と繋がれたりしながら使用されます。このような動機を少しずつ提示しながら徐々に繋いで1つのメロディー(主題)に仕上げていく方法はベートーベンが多く使っており、緊張感を強く感じさせるものです(例:交響曲第9番(合唱)の出だし、バイオリンソナタ第9番(クロイツェル)の出だし)。

2010年10月20日水曜日

music sensitivity_listening classical music_popular song_popular music_karaoke system_speaker_headphone_earphone_sound level

(13)
こうして、音楽  music  がちゃんと聴こえるようになった人は、言葉の助けを借りなくても、音から直接に音楽の持っているメッセージを受け取ることができるようになります。それは音に対する感受性  sensitivity  が高まったことを意味します。すなわち、普通の人ではあまり活発に働いていない脳の部分が発達したと言えるでしょう。つまり、右脳と左脳の役割分担の説が正しいとすれば、あなたの右脳が発達したということになり、あなたの総合的な能力の幅がかなり拡がったことになるはずです。

私は専門家ではありませんのでこれ以上学問的なことは言えませんが、私が体験したところでは、クラシック音楽を聴く listen to classical music タイプの人には、聴かない人と比べて一味違う個性があります。私は、技術屋として多くの人達と協力し合って仕事をして来ました。そうしたメンバーの中にはクラシック音楽  classical music  を聴く人も居ましたが、彼らは例外なく良い仕事をしてくれました。私が観察したところでは、彼らには共通して次のような特徴がありました。
[1]状況についての読みが確かである、
[2]仕事に対して自分なりの展望を持っている、
[3]着想が豊富で決断も早い、
[4]構想力があって仕事の組み立てが上手である。

これらの特徴は、様々な形で構成された構造を持っているクラシック音楽を聴く習慣から生まれる個性だと私は考えています。仕事上の新しいメンバーと出会ったときに、クラシック音楽を聴く人だと分かると、ある程度確かな仕事をする人だという安心感がありました。これは先入観による偏見ではなく、私がかなりの数の人達を観察した結果の結論であり、仕事を辞めた今でもかなり確かな判断の目安であったと思っています。

2010年10月19日火曜日

music sensitivity_listening classical music_popular music_popular song_karaoke system_concert hall_speaker_headphone_earphone_difference in sound level

(12)
ポピュラー音楽 popular music を聴いたり、カラオケ karaoke system を使ってポピュラーソング popular song を歌うのとは違って

クラシック音楽 classical music では音の大きさの変化difference in sound level が非常に大きいということによる問題を緩和する方法としては、余裕のある人は防音室を作ればよいと思いますが、普通の人はheadphoneまたはearphoneを使用して聴くしかないのかもしれません。

ヘッドホンは、スピカー speaker で聴くのに比べると少しうっとうしいですが、最近のヘッドホンは、掛けていてもそれほど気にならない程度にしか耳を圧迫しないように工夫されています。また、十分に良い音質でクラシック音楽を聴くことができる性能を持っています。イヤホンでもかなりいい音質で聴けるものがあります。また、これらを使用していると音楽を聴いている途中で人から話かけられることが少ないという利点もあります。もちろん、コンサートホール concert hall で聴くときや、少し上等の装置で部屋中に音を響かせて聴くときのような体全体で聴くという感じにはなりませんが。音を聴き逃すということはなく、まず十分です。

防音室がなくてもヘッドホンがあれば
[1]お一人様状態で聴く、
[2]静かなところで聴く、
[3]大きい音で聴く、
というクラシック音楽を聴くlistening classical music ための条件が揃います。あとはただ聴くだけで良いのです。ただし、ただ漠然と聴くよりは、後で詳しく述べるような音楽のいろいろな変化に注意を払って聴くようにすると、より早く音楽の面白さを感じることができるようになると思います。

現在でも聴き続けられているクラシック音楽は、いずれも長年の間名曲として広く認められてきたものばかりですから、ちゃんと聴こえるようになれば必ずその面白さが分かると思います。そして、音楽に対する感受性 music sensitivity  がどんどん高まって行くでしょう。

このブログでは音楽の持っている美しさ、感動させる力、構成の巧妙さなどをまとめて一言で音楽の面白さと言っています。

音楽を楽しむ

(11)
[2]静かなところで聴く、[3]大きな音で聴く:この2つは共通してクラシック音楽が音響的に他の音楽と大きく違う点、すなわち音響レベルの範囲が極めて広いことに関係しています。特に違うのは極めて小さな音が多く使われること、しかもそれが重要な表現で多く使われることです。

コンサートホールは、世間一般にはまずあり得ないほど静かです。奏者は楽譜をめくる時にも音を立てないように訓練されています。ですからどんなに小さな音でもよく聞こえます。音が小さいと聴衆は聞き逃すまいと意識を集中させますから、重要な表現が意図的に小さな音で演奏されることも多いのです。また、どんなに大きな音を出しても外には聞こえませんので大音響も遠慮なく使われます。クラシック音楽では、音の大きさの変化が他の音楽とは比べ物にならないほど大きいのです。

クラシック音楽の音の大きさの変化が非常に大きいということは、家庭で聞くときにはたいへん困ることです。家庭ではどんなに静かにしていても、コンサートホールよりもかなり騒音があります。音楽の静かな部分では、エアコンや冷蔵庫が動きだしても相当気になります。人の出入りや戸外からの騒音もあるでしょう。そういう状況でも小さな音をしっかり聞き取るためには少しボリュームを上げることになりますが、そうすると音楽の音が大きくなったときには、音が大きすぎて家族から、あるいは近隣からやかましいと苦情が出ます。したがって、普通の部屋で聴く時に、他の人の迷惑にならないように聴くためには、しょっちゅうボリュームを上げたり下げたりしなければなりません。それをしないと、重要な部分をかなり聞き逃してしまうか、やかましいと文句をいわれるかのどちらかになるのです。その結果、曲の構成や変化の面白さが十分に味わえなくなるのです。

2010年10月18日月曜日

音楽を楽しむ

(10)
私の兄弟5人は全員が音楽を聴きますが、私は兄弟の誰かと一緒に音楽を聴いたことは殆どありません。音楽について一緒に話すことは時々ありましたが、聴くときは、皆それぞれ自分の好きな時に自分の好きな曲を聴いていました。「こんな曲があるぞ」といって聴かせる時も、レコードやCDを渡したら、私はさっさと部屋を出ます。たとえ一緒に聴くとしても途中で「ここがいいんだよな」なんて言ったらぶち壊しです。感想は曲が終わってから聞きます。

つまり、クラシック音楽は基本的に「お一人様」用の娯楽なのです。コンサートは大勢の人と一緒に聴きますが、2000人居ても、奏者または指揮者が入場して拍手が終われば、後は誰も一言もしゃべりませんから、全員が完全にお一人様状態になります。それで窮屈だと感じたことは60年近くの間に一度もありません。それは意識が音楽に集中しているからです。それでも演奏が終われば一斉に拍手をします。その拍手で聴衆がどの程度共感したかが分かります。

こうして、「お一人様状態」で音楽を聴いていると、徐々に音楽のいろいろな表現に面白さを感じるようになります。そうなれば、最初はところどころしか頭に入らなかった曲が、初めから終りまで楽しめるようになります。

言い方を変えれば、音楽を聴くということは、自分がその曲から何を感じ取れるかを観察することです。オーバーに言えば、音楽の助けを借りて自分の心と向かい合うことです。そのためには、それに値する曲を聴かなければなりませんが、幸いなことに、それに値する古今の名曲は、膨大な数あります。恐らく、一生かかってもとても全部は聴ききれないほどあるでしょう。多くの曲は、少なくとも10回以上は聴かないと全体が把握できないほど内容が豊富です。私はまだ、すべての聴くに値する曲の10分の1も聴いていないと思います。

2010年10月17日日曜日

音楽を楽しむ

(9)
前回で、私が音楽が聞こえていない人と言いましたのは、聴覚に異常がある人のことではありません。私が言っているのは、音楽がちゃんと聞こえるような条件で聴いていない人のことです。まだ音楽の楽しさを味わったことのない人にはこのケースが多いのです。つまり、クラシック音楽は他の音楽と同じ聴き方ではちゃんと聞こえてこないのです。それにはいくつかの理由があります。次に、それを考察して見ましょう。

「クラシック音楽がちゃんと聞こえるための条件」は、次の3つです。
[1]一人で聴く、またはコンサートホールで聴く。
[2]静かなところで聴く。
[3]大きな音で聴く。
この3つが揃わないと音楽はちゃんと聞こえて来ません。以下にその理由を詳しく説明しましょう。

[1]一人で聴く:クラシック音楽の鑑賞には、特にメロディ、調性、音色、リズム、テンポなどの変化やこれらの構成の面白さを味わうという要素が多いという特徴があります。したがって、曲を隅々まで聴かないとその良さが分かりません。音楽の流れの中の一瞬の変化を聞き逃すだけで面白さがガクッと落ちるのです。他の人と一緒に聞いたのでは、それほど意識を集中することはできません。数分程度の小品は別として、本格的な曲は30分前後から1時間ほどは掛かります。どんなに親しい人とでも一緒に居れば30分間一言も話さないということは気詰まりでしょう。

しかし、会話が入ると人の意識はどうしても会話の方に向くようです。そして音楽は無視されます。途中でおやつでも食べるとそれでその一曲は完全に無視されます。人の意識というものは、どうやら食べ物と言葉を最も重要視しているようです。誰かと一緒に居る時にその人が何かを言えば、他のことに優先してそれに反応するでしょう。また、旅行などの体験をした時のことで、一番よく覚えているのは何かを食べた時のことでしょう。

2010年10月16日土曜日

音楽を楽しむ

(8)
クラシック音楽のもう1つの面白さである、メロデイー、調性、リズム、テンポ、楽器構成の変化やこれらの組み立て方などの構造的な面白さは、ある程度言葉で説明できますが、それを聴いた時の感覚はやはり言葉では表せません。くどくどと説明しても、多分うまく伝わらないでしょう。それは美味しいものを食べた時の感覚が言葉では表せないのと同じようなものでしょう。結局「食べてみろ」ということになります。

さて、いよいよクラシック音楽を聴く時の注意事項に入りましょう。
私の友人にも音楽好きの人もいれば、音楽は分からないという人もいます。私が見たところでは、分からないという人は次の3種類に分けられそうです。
[1]音楽の音を美しいと感じられないグループ、
[2]音楽が聞こえていないグループ、
[3]音楽で感じたことを言葉で表現しようとするけれども、うまく言えないので、自分は音楽は分からないことにしているグループ
の3種類です。
[1]のグループは、数はごく少ないと思いますが、弦楽器の音が気持ち悪い、管楽器のけたたましい音が嫌い、高音が苦手、低音が苦手、などという人がいることは確かです。中には和音が気持ち悪いという人もいました。
[2]の音楽が聞こえていない人は、少数の聴覚に問題のある人は別にしても、たいへん多いです。これは、クラシック音楽の特徴として非常に重要な問題が関係していると思われますので。後で詳しくお話します。
[3]のグループは音を音として感じたままでは納得できず、言葉にして表さないと気が済まないというか、そうしないと音楽が分かったことにはならない思い込んでいる人です。私は心理学者ではありませんのでその心理は分かりませんが、こういう人達は歌なら分かったと思えるのかも知れませんね。

2010年10月15日金曜日

音楽を楽しむ

(7)
前回書きましたように、「よしっ」という前向きの気分になるのは、明るく力強い曲を聴いた時だけではありません。悲しい曲でも、寂しい曲でも、美しい音楽には感動して、聴いた後は気持ちがしゃんとするのです。悲しい音楽に感動したからといって、それを聴いている自分自身が悲しくなるということは決してありません。もちろん、楽しい音楽を聴いた時は楽しくなります。これはドラマなどを見たときでも同じではないでしょうか。考えてみれば不思議ですが心理学ではちゃんと説明がつくのかもしれません。ただし、俳優さんなどは演じている時に本当に役の人物と同じ心境になることがたまにあって、それを感情移入などと呼んでいるそうですが、俳優の場合は感情移入をしないと演技に迫力が出ないのかも知れません。しかし、暴力映画を見て感情移入する観客が居たりすると危なくてしょうがないですね。

音楽を演奏しているる人達は果たして感情移入しているのでしょうか。私にはどうもそうではないように思えます。やはり、どういう演奏をすれば聴衆が感動してくれるかということを冷静に考えて演奏しているような気がします。それがプロフェッショナルということではないでしょうか。そして悲しい曲を見事に演奏し終わったときは、おそらく嬉しい気分でしょう。

実際に良い音楽を聴いた時に感じる感覚や感情が、ドラマや歌などの言葉による表現で感じるものとどう違うのかということも私には分かりません。よく音楽は左脳を刺激し、言葉は右脳を刺激すると言われますが、それが具体的に心(脳)の動きにどういう違いをもたらすかということは、どの程度分かっているのでしょう。それには大いに興味はありますが、今のところ私の知識では音楽は「聴かなきゃ分からんし、言葉では伝わらない」と思うだけで、それを言葉で表現したり説明しようという試みは放棄しています。

2010年10月14日木曜日

音楽を楽しむ

(6)
それから今日に至るまで、時々は仕事が忙しくて音楽を聴いているヒマがないこともありましたが、約60年間もクラシック音楽を聴き続けています。また、大学時代には「この曲は一生聴き続けるだろうな」と思える曲をいくつも見付けましたが、そのメンバーは今でもあまり変わっていません。もちろんそれ以外の曲も機会があれば何でも聴いています。

しかし、なぜ音楽を聴きたくなるのか、何のためかと言われると、なかなかうまく答えるのは難しいですね。けれども、なんとなくあの曲を聴きたいなと思うことが度々あることは事実です。それは本能的な欲求かも知れませんが、単に習慣になっているからだとも言えそうです。

どういうわけか説明はできませんが、私が聴きたいと思う曲の多くは、聴き終わったときに、なんとなく「よしっ」という感じが体の中から沸いてくるものが多いことは確かです。だからといってその曲が力強い曲とは限りません。寂しく弱々しく終わるような曲でも、悲しい感じの曲でも、なんとなく心の整理が付いたような感じと言えるでしょうか、「よし行くぞ」と言うようなさっぱりした気分になることが多いです。しかしそれは単なる結果であって、最初からそうなることを期待しているかというとそうでもないのです。

もちろん、音楽から受ける感覚を、言葉で表現することには無理があるでしょう。作曲家に言わせれば、「言葉では表現できないことだから音楽で表現しているんだ。つべこべ言わずに黙って聴けばいいんだ。」ということになりそうです。

2010年10月13日水曜日

音楽を楽しむ

(5)
前回お話した「音楽の泉」を聴いていたのは食事をしながらですから、それほど真剣に聴いていたわけではありませんでした。なかなかいい曲がたくさんあるのだなとは思いましたが、特に強く感動したという記憶はありません。

ところが、中学生になり、父がLPレコードが掛けられるラジオを買ってから、積極的に音楽を聴くようになったときには、実に多くの曲が自分の頭の中というか、心に残っていたことに気付きました。人間の意識と言うものは結構勝手に働いているものなんですね。やがて、それまであまり魅力を感じていなかった曲なのに、ある日突然面白さが分かるということが度々起こるようになりました。

中学、高校と進むにつれて聴く音楽の種類も増えて近代や現代の音楽も聴くようになり、一流の演奏家のレコードを聴いたり、兄に連れられて演奏会に行ったりするうちに、自分で音を出そうと言う考えはすっかりなくなりました。

一流の演奏家の音楽というものが、自分には100年がんばっても真似のできないレベルにあることは前からよく分かっていましたが、自分自身で楽しめるレベルにも到達できないと思うようになりました。「自分でヘタな音楽をやるよりも天才達の演奏を聴く方に廻った方がずっと楽しめる」と気付いたのです。

そのうちに、初めて聴く曲でも、何回も聴くに値する曲、すなわちヒラメキがあって、しかも内容も充実している曲を見分けることもある程度できるようになりました。こうして晴れてクラシック入門を果たしました。

2010年10月12日火曜日

音楽を楽しむ

(4)
クラシック音楽がしっかり聴こえるための「注意事項」の説明に入る前に、準備としてもう少し周辺事情をお話しましょう。まずは自己紹介の代わり、私のクラシック入門のいきさつと、私がどういう音楽の聴き方をしているかということを一通りお話しましょう。

音楽の楽しみ方にもいろいろありますが、最も楽しいのは自分が音を出すことでしょう。私もそうでした。これはちょっと低すぎるレベルの話ですが、小さい頃は茶碗の縁を箸で叩いて音を出すだけでも面白かったので、よく叱られました。初めて音楽というものが面白いものだと思ったのは、小学3年生か4年生のときに出た「長崎の鐘」という悲しい歌謡曲が、途中で転調してほんの少し明るくなることに気付いたことでした。もちろんその時は転調などという言葉は知りませんでしたが。

その前の年のクリスマスには、サンタさんにハーモニカをもらって吹き始めていましたが、もちろん普通のハーモニカでは転調はできません。それでお年玉でクロマチックのハーモニカを買いました。その後、いろいろな楽器もいじりました。どんなに下手でも何かの曲が何とか弾けるとそれなりに楽しかったのですが、その反面で、決してまともには弾けていないという欲求不満が常にありました。

一方、私は小学4年生のころからクラシック音楽も聴くようになりました。そのキッカケとなったのは、当時(昭和24年)毎週日曜日の朝8時5分から55分までNHKラジオの「音楽の泉」を聴いていたことでした。

父がいつも8時のニュースを聴いていました。それが終わると続いて「音楽の泉」という番組が始まったのです。堀内敬三さんという作曲家・評論家が簡単な解説のあとでいろいろな名曲を聴かせてくれました。時には一番上の弟も一緒に聴いていました。中学生になるまでに100回ほど聴いたことになるでしょう。

2010年10月11日月曜日

音楽を楽しむ

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歌の他にもダンスを楽しむための音楽もあれば、歌劇やミュージカルのようにドラマ、歌、器楽演奏、舞台装置、衣装、照明といった多くの要素が一度に楽しめる、まさに総合芸術と言える豪華なものもあります。どれも皆音楽の重要な分野です。

たしかに、言葉や視覚的なものも合わせて楽しむための複合音楽が主流ですが、純粋に音だけを楽しむための音楽もまた素晴らしいものです。これは言葉や視覚的なものの助けを借りないので、少し馴染みにくい面はあるかも知れませんが、他の音楽とはかなり違った味わいがあって、独特の感動を与えてくれます。

決してこれこそが本当の音楽だと言う訳ではありません。音楽の種類が違うと言うだけのことです。音だけを楽しむ音楽とは、歌劇やバレエなどの複合芸術を除いた音楽で、その代表的なものはクラシック音楽です。

このクラシック音楽が楽しめるためには、多少聴き方に注意しなければならない点があります。それをお話して、音楽を楽しむ上での参考にして頂きたいということが、このブログの最大の目的です。

クラシック音楽の聴き方について書かれた本が、これまでに数え切れないほど出版されています。音楽の歴史、作曲者の紹介、楽曲の解説、楽曲にまつわるエピソードなどが書かれています。しかし、先に述べた音楽を聴く時に注意しなければならない点というのは、誰でも気付きそうに思えることなので、これらの本には全く書かれていないのです。しかし、実際にはそれらの「注意事項」に気付かないで聴いている人がたいへん多いのです。そのために、聴いているつもりでも、「音楽が十分には耳に入っていない」という結果になってしまっているようです。それで、何回も聴いているけれどもあまり楽しめない、よく分からないという人が多いのです。

私は、決して音楽の専門家ではありません。長年クラシック音楽を聴いて楽しんでいますが、演奏家でも学者でもありません。したがって、このブログでは、専門的な説明や楽曲の解説などは致しません。そういうことは他の書物を参考にしてください。ただし、私自身が、音楽のどういうところに面白さを感じているかということは、後で多少お話するつもりです。

2010年10月10日日曜日

音楽を楽しむ

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前回、歌は文学に近く、詩の朗読に音楽が付いているものだと書きました。多くの場合には、歌を歌っている人、聴いている人の意識は、大部分が歌詞に注がれているようです。そして歌う人は、歌詞の内容を如何に説得力のある表現で歌うかというところに意識を集中させます。聴く人は、それが上手くできるのが上手な歌手だと思っているでしょう。これは詩の朗読とほとんど同じではないでしょうか。

歌を楽しむ時には意識の大部分が歌詞に注がれているということの1つの例をお話しましょう。もう10年以上も前のことですが、今井美樹という歌手の「プライド」という歌が大ヒットしました。私がよく行っていたカラオケスナックの常連さんの中に、この歌を上手に歌う女性が2人いました。私は彼女たちに、この曲の伴奏音楽が歌謡曲としてはとてもよい音楽になっている、特にリフレインに繋がる間奏が良いと言いました。彼女達はしばらく考えてから「そう言えばそうかもね」という反応でした。

歌っている時の彼女達は、次の出だしに遅れないように伴奏のリズムには気を配っていても、音楽そのものはあまりよく聴いていなかったのです。聴いているときも、歌っている人がタイミングを外さずに上手く歌えるかなということが気になっていたのでしょう。それでも何回も聴いているのでなんとなく頭には入っていたのでしょうが、音楽そのものを楽しむところまでは行っていなかったようです。

上で述べたことは、歌を歌ったり、聴いたりしているときの意識の働き方が、詩の朗読や鑑賞に近いと言っているだけで、歌が音楽じゃないと言っている訳ではありませんので、誤解のないように願います。

ただし、大ホールのコンサートは、ちょっと違いますね。これは全部とは言いませんが、多くは音楽活動というよりも運動会です。甲子園の応援団とほぼ同じです。それでも、聴いていなくても、飛び跳ねていても、そこに音楽がなければ活動自体が成り立たないことも事実です。

2010年10月9日土曜日

音楽を楽しむ

新しくブログを始めることになりました。このブログでは、主に音楽について私が日頃考えていることを書きたいと思います。あなたが、音楽を楽しまれる上で多少とも参考にしていただければ幸いです。

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私達が普通に音楽と考えているものにも、実にいろいろな種類があります。
多くの人はまず「歌」を思い浮かべるでしょう。歌にも演歌、民謡、歌曲、ポピュラーソング、ジャズソング、ミュージカル、歌劇などがあり、その種類は、細かく分ければ相当な数になると思われます。

一方、音楽はよく世界共通語とも言われます。この場合は、言葉の要らない「器楽(instrumental)すなわち楽器だけで演奏される歌の無い音楽)」が特に重要な役割を果たすと思われますが、歌でも言葉が全く分からない場合は、聴く人にとっては器楽と同じことになると言えるでしょう。

世界共通語としての音楽では、器楽が重要な役割を果たすだろうと言いましたが、実際には、どの国でも日常生活では、やはり歌が中心になっているようです。歌は歌詞という言葉を使う音楽ですから、この歌詞を仲立ちにして、何時でもどこでも多くの人たちとでも共感し合えるという特徴がありますので、それは当然でしょう。

特に大ホールのコンサートで、飛んだり、跳ねたり、叫んだりしながら楽しめることに加えて、カラオケ装置の普及がこの状況を確実なものにしていると思います。私も子供の頃から歌は好きでしたし、最近はその機会がほとんどなくなりましたが、以前は下手なりにカラオケにもよく行きました。

これはどちらが良いとか悪いとかいう問題ではありませんが、同じく音楽と呼ばれていても、歌と器楽はかなり性格が違います。当然、聴き方も、聴く人に与える感動の種類も全くと言って良いほど違います。そこで、その違いについ
て少し考えてみましょう。

歌は、詩(うた)です。すなわち言葉が基本になっている芸術です。私は、歌は音楽とは言っても、かなり文学に近いと思っています。要するに詩の朗読に味付けとして音楽が付いているものだと思っています。