2010年10月10日日曜日

音楽を楽しむ

(2)
前回、歌は文学に近く、詩の朗読に音楽が付いているものだと書きました。多くの場合には、歌を歌っている人、聴いている人の意識は、大部分が歌詞に注がれているようです。そして歌う人は、歌詞の内容を如何に説得力のある表現で歌うかというところに意識を集中させます。聴く人は、それが上手くできるのが上手な歌手だと思っているでしょう。これは詩の朗読とほとんど同じではないでしょうか。

歌を楽しむ時には意識の大部分が歌詞に注がれているということの1つの例をお話しましょう。もう10年以上も前のことですが、今井美樹という歌手の「プライド」という歌が大ヒットしました。私がよく行っていたカラオケスナックの常連さんの中に、この歌を上手に歌う女性が2人いました。私は彼女たちに、この曲の伴奏音楽が歌謡曲としてはとてもよい音楽になっている、特にリフレインに繋がる間奏が良いと言いました。彼女達はしばらく考えてから「そう言えばそうかもね」という反応でした。

歌っている時の彼女達は、次の出だしに遅れないように伴奏のリズムには気を配っていても、音楽そのものはあまりよく聴いていなかったのです。聴いているときも、歌っている人がタイミングを外さずに上手く歌えるかなということが気になっていたのでしょう。それでも何回も聴いているのでなんとなく頭には入っていたのでしょうが、音楽そのものを楽しむところまでは行っていなかったようです。

上で述べたことは、歌を歌ったり、聴いたりしているときの意識の働き方が、詩の朗読や鑑賞に近いと言っているだけで、歌が音楽じゃないと言っている訳ではありませんので、誤解のないように願います。

ただし、大ホールのコンサートは、ちょっと違いますね。これは全部とは言いませんが、多くは音楽活動というよりも運動会です。甲子園の応援団とほぼ同じです。それでも、聴いていなくても、飛び跳ねていても、そこに音楽がなければ活動自体が成り立たないことも事実です。

0 件のコメント:

コメントを投稿